野球小僧のネット裏観戦記 ![]()
-その2回目-
さて、野球シーズンも開幕。先ごろ行われた<ワールド・ベースボール・クラシック>では見事に王ジャパンが金メダルを獲得。大リーグ機構が我田引水に描いたシナリオを見事に覆す活躍ぶりに、野球人気の凋落が叫ばれていた日本国内でも、多いに盛り上がったのは記憶に新しいところ。
また日頃クールなイチロー選手が、あのような闘志を剥き出しで試合に臨んだ姿は、彼の野球への凄い情熱が伝わってきて、感動さえおぼえました。
予期せぬアメリカチームの予選落ち。その遠因となったのが、大リーグ機構側から"派遣"された3流どころの審判団であったようですね(笑)
みえみえで余りにも露骨な<ホームタウン・デシジョン=地元有利な判定>、所謂"疑惑の判定"。さすがに、いくら何でもあれはやりすぎでしたね。
で今回覗くネット裏は、植野陶器店チームが国体初出場を決めた、
1980年「第35回大会"栃の葉国体」の最終予選である
< 南四国予選・対専売徳島(当時)戦 >
勝敗の分かれ目となった"疑惑?の判定編"です。(笑)
植野陶器クラブ 1−1 専売徳島
※延長戦:設定試合(タイブレイク) 2X−1
さて、四国銀行の硬式出身のメンバーもロートル化が進み、いつしか"強豪"植野陶器店も初戦突破がやっとの「2回戦ボーイ」に転落、冬の時代が続いておりました。
そこで、再び姑息な手段(笑:ちなみに姑息というのは"卑怯なり"という意味に誤ってとられていますが、"手っ取り早く"という意味です)を用いたオーナー。
ちょうど解散の憂き目にあった強豪のクラブチームを丸抱え、選手の総入れ替えという裏ワザを使い、再び強豪チームの仲間入り。
国体にも何度か出場経験を持つだけあって、実力は県下で常に1,2番。 目指せ国体!
1979年、ケンショー・旭食品を破って南四国予選にコマをすすめ、長躯徳島まで遠征。
阿波の国の覇者、専売徳島と対戦するも4−0で零封の完敗。帰途の道のりの長かったこと・・・。
徳島の審判が試合後に「まぁヒット2本ぢゃ勝てんわなぁ・・」とぼそり。
雪辱を誓った選手と小僧。
翌年、すぐにチャンスは巡ってきて、再び南四国予選で相まみえる事になった両チーム。
雪辱を期す土佐っぽ軍団と返り討ちを狙う阿波の雄。球場は持ち回りで高知市営球場。審判団も地元、有利である。
ところが、である。一塁の塁審を見て愕然としたのは、オ−ナーと小僧、それに本業に携わる人物に限定されるのであるが、当の選手達は事情を知らない。なんと本業でのライバル会社のY専務(当時)が当日の一塁塁審であったのだ!
話はそこから数年遡るが、その年、小僧の追手前高校時代の朋友、K氏が新戦力として加わった。中学時代に郡部のK中学のエースで4番であった彼は、ロートルチームの活性化を担って勇んでマウンドに上がったのである。
早起き野球の初戦、主審がかのY専務であった。彼の智謀など知る由も無い若きエースは真っ向からストレートを投げ込む。しかし、ストライクが決まらない。きわどいコースはすべて『ボール』と判定され、仕方なくど真ん中に放った球を次々とはじき返されるのだ。
もちろん試合は完敗。この"疑惑の判定"は観戦していた近所のおんちゃんに、「あのピッチャーかわいそうやねぇ。審判が全然ストライクを取らんやいか!」と言わしめるほど、誰の目にも明らかだったのである。
話は戻る。
総入れ替えする前のチームでの出来事だった故、もちろん選手はこの因縁試合を知る由も無い。
1点を争う緊迫した展開の中、先制点を奪われそのまま最終回の攻撃。
1点ビハインドのまま1死ながら1,2塁のチャンス。 スコアリングポジションではあるが、ご承知の通り軟式の場合、無死あるいは1死の場面でシングルヒットではセカンドランナーはなかなか生還できないのである。が、願っても無い同点機。
この試合の終盤から登板した押さえのエースは、完璧に相手打線を封じ込み、ノーヒットピッチング。土佐高と関西6大学でならしたサイドから繰り出すクセ球は、全く相手に付け入るスキを与えない快投ぶりで、同点に持ち込みさえすれば勝機は充分我にあり。
しかし、その刹那「ボコッ!」と鈍い音とともに転がったのはセカンドへのボテボテのゴロ。最悪のゲッツーコースで、瞬間誰もがゲームセットを覚悟した。4−6−3と球は転送され、1塁ランナーはセカンド封殺、これで2死。バッターランナーは必死でファーストへ全力疾走・・・。
転送されたボールが1塁手のミットに収まるのと、ファーストベースを駆け抜けるのと、極めて微妙なタイミング。固唾を飲んでジャッジを見守ったが、何と言う運命のいたずらか、塁審はあのY専務である!!
グランド上の選手あるいはスタンドで観戦するすべての眼が、命運を一手に握るこの塁審のジャッジに注がれるなか、一呼吸置いた彼は、慎重かつ確信を持ったジェスチャーで大きく両手を広げ、大きな声で高らかに叫んだ
『セーフ!』
命拾いで沸き返る我がベンチと、かなりがっくりと来ている専売さん側。しかし、まだリードを許した崖っぷち状態には変わりが無い。2死1、3塁だが、打順は下位の8番。小兵の左バッターである。
しかし、試合には"流れ"というものが必ず存在し、勝利の女神様は流れをつかみかけた方に微笑み、つかみ損ねた者にはそっぽを向くのがオキテである。
気落ちした相手ピッチャーが、ますます滅入り込むような鈍い当りが、しぶとく外野手の前にポトリと落ちて土壇場の同点劇。
そして延長15回(だったか?)、雨のそぼ降る雨中の決戦は膠着したまま"設定試合"、 で決着をつけることとなった。これは所謂"タイブレイク"という名称で、オリンピックのソフトボール競技で取り入れられていたのでメジャーになり、ご記憶の方も多いと存ずるが、無死あるいは1死2、3塁という場面を設定して、そこから攻撃をして点を取り合う、PK戦と同等なものである。
これは、我がチームの得意技ともいえるもので、まず専売さんは1点先取。その裏の攻撃は、全く浮き足立つ事無く、3塁ランナーの"内野ゴロエンドラン"で同点。(スクイズは軟式の場合、フライになる危険が極めて高いので、バントの代わりにバットを短くもってボールを叩きつけ、長いボールの滞空時間の間に走者を生還させる軟式野球独特の戦法。通称土佐の"タタキ"戦法:笑)
そして迎えた"燃える4番バッター"が、いままでの鬱憤を晴らすかのごとき、会心のクリーンヒット。
雨中の決戦に決着をつける、正真正銘歓喜のホームインであった。
かくして悲願の国体初出場が決まったのである。
しかし、この試合のターニングポイントはなんと言ってもあの、際どい一塁でのクロスプレーの判定であることは、誰の目からも明白である。
9回の攻防が終了し延長戦に入る際、一塁塁審がこちらのスタンドに何気なく視線を送り「ニヤリ」としたのを小僧は見逃さなかった。
「どうぜよ、これで借りは返したぜよ・・。」その眼は笑ってこう語っていた・・・・。
これは、もう時効の話(笑)
そして後日談。
その翌年、さらに南四国予選で専売徳島さんと3たび対戦。鳴門球場まで遠征して専売さんを零封して返り討ち。国体2年連続出場(第36回びわこ国体)の快挙を成し得たのであった。
試合後「おたくにはもうかなわんわ〜。」と相手の監督さんに言わしめたとか。
作者注:高知県軟式野球連盟所属の審判さんの名誉に賭けて。決して、かの審判さんがこの2試合で、先ごろの国際大会における審判のごとき、極端なえこひいきをしたわけにあらず、一部に脚色もございますので、笑ってお済ませください。しかし、まぁこれが"ホームタウンデシジョン"たる所以かな・・・?(笑)
とにかく決勝の問題の場面は、今思い出してみても"チョービミョーな"タイミングでありました。
徳島の雄、専売徳島さんも民営化、JTとなってもう20年近く・・時は流れます。
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